セミバロックパールのひとりごと・・・

セミバロックパールが誕生石です。気まぐれに、自分の好きな事、好きな物、好きな人の事を中心に書いていけたらいいな・・・と思います。

阪神・淡路大震災 1

また1月17日がやってきます。

神戸を離れてからは全国ニュース以外では震災の話題が取り上げられることも少なくなりました。
でも、毎年年末近くになると何故か各地で地震があって地震速報を見る度に「大きな地震が
起こりませんように・・・」と祈るような気持ちでいます。

震災の前日の16日、夕食の準備をしている時に「震度1」の地震がありました。
神戸ではあまり地震がなかったので「1」でもちょっとビックリ。
3連休の3日目で実家へ一人で泊まりに行っていた当時5歳の長男を送って来た母が泊まってました。
その為に長男は別の部屋で夫と寝ていました。

午前5時46分。ドカン!と下から突き上げられるような大きな揺れがありその後も大きく長く揺れ、
ガチャン、ガチャンとガラスの割れる音がずっとしていた事を覚えています。とにかく横にいた
生後7か月の次男の上に覆い被さったことはよく覚えています。
真っ暗で何が起こってるのかも正直よく解らなかったような気がします。幸い建物は無事でした。
午前6時前に大阪の実家の父親から「無事か?」と連絡が入り、愛知県の夫の実家とも7時前には連絡が
つき無事を知らせました。それ以降はなかなか電話がつながりませんでした。特に停電の為FAX機能が
あるような電源を必要とする電話は全く使えず、その頃は留守電もないNTTの電話だった我が家の電話
だけが使えてお隣の人にも連絡用に電話を使ってもらいました。

やっと夜が明けて家の中や周りが見えてきて、少し状況がわかってきました。でも、停電でTVは
観られないし、何の情報もありませんでした。
倒れた食器棚の中から見つかった懐中電灯と携帯ラジオ。まさか食器棚が倒れるなんて・・・。

地震1 電子レンジもぶら下がり、炊飯器も落ちてました。
地震3 この中から懐中電灯とラジオを探し出しました。
地震2 いたる所で火災が発生していました。

揺れがおさまって夫は玄関のドアをまず開けに行ってくれたようです。その辺はやっぱり男の人ですね。
冷静に出口を確保してくれてました。寒いのにずっと開けたままだった玄関。怖くて閉められなかったな。

家の中にいても外にいてもとにかく怖かった。夫はお隣のご主人と少し近くの様子をみに出かけましたが
あちこちで火事が発生し、車のガソリンに引火しないように車の移動を手伝ったと話してくれました。
携帯ラジオのニュースから流れてくる死者の数がどんどん増えて来て、怖かったし信じられなかった・・・。

電気・水道・ガス。すべてのライフラインが寸断されました。食べるものもそんなに準備してないし・・・。

翌日、浜のガスタンクに亀裂が入ったとかで避難勧告が出たという事を知り(広報車が回ってたらしいけど
全く聞こえず、人から聞きました。)避難所はどこもいっぱいだというし・・・。
大阪の実家の父から「大阪はガスも電気も水道もすべて使えるから何とかして来い」と言われ
電車が動いている阪急・西宮北口駅まで歩き大阪の実家へ避難することに決めました。
当時、JR駅の近くに住んでいましたがJRは止まってました。国道2号線を西宮へ向かってひたすら
歩きましたが、神戸から出ようとする車と神戸へ向かおうとする車で国道は大渋滞・・・。
歩道には倒壊した家のがれきが散乱し、切れた電線が垂れ下がり、歩くのにも大変な状態でした。

幸い、当時5歳の長男は歩く事には慣れていて全く文句も言わずに5時間近く歩いてくれたのは助かりました。
アレルギーBOYで当時は「卵」もまだ除去していたのでこの事も大阪へ避難するキッカケになりました。

電車を降りたら別世界・・・大阪は普通に皆が買い物をして、家に電気がついててお水が出ました。
実家で初めて神戸の映像を観ました。一番情報が欲しい人に多分伝わってなかったでしょうね。

でも大阪へ避難するため国道に出たら県外のナンバープレートを付けた自衛隊の車やパトカー、ガス会社の
車をたくさん見ました。みんなが助けに来てくれました。

あの時間だったから亡くなった方もたくさんいらっしゃると思います。
あの時間だったから助かった・・・という人もいると思います。あと数時間遅かったら
食器棚の前のテーブルにつきご飯を食べていた子供の上に食器棚が倒れていたかもしれません。
あの日、実家の母が泊まってなくていつもの場所に長男が寝ていたら・・・大きな重いラジカセが
飛んで来て長男は下敷きになってる所でした。今、考えても背筋がゾッとします。

あの地震以来、私はパジャマを着て寝なくなりました。今は俗に言うスエットとか部屋着です。
リビングの電気もオシャレな体裁の良いものを使っていましたが、縦揺れで天井に当たってガラスが
割れたので地震以来天井に固定出来、揺れる事のない電気にしました。
大きな洋服ダンスが倒れなかったのは、タンスの上に子供が使わなくなったおもちゃを入れた段ボールが
天井まで隙間なく詰まっていたからでした。突っ張り棒の役目を果たしてくれたようです。
今も、洋服ダンスは突っ張り棒と、段ボールで天井まで隙間なく固定されています。

意外に役に立ったのは、コンビニの氷。地震の前に子供が続けて熱を出したので冷凍庫に買った氷が
残ってました。電気が消えて丸一日たっても溶けてなくて、水筒に入れて避難する道中でカリカリ噛んだり
舐めたり水分補給してました。
前日の残りの冷やごはんもラップと塩を探し出し、おにぎりにして子供に食べさせてました。

結局、ガスが通じたのが3月の末。やっと神戸に戻れました。他府県ナンバーの作業車がたくさんあり、
大勢の人が最後まで助けてくれていました。本当に感謝です。

近い将来東海地震が起こるといわれています。でも、何も用意してない・・・。
ちょっと気を引き締めて防災グッズをそろえなければ・・・。
[ 2011年01月16日 11:58 ] カテゴリ:ただの日記 | TB(0) | CM(6)
No title
ぱーるさんも、この頃は、神戸だったのね。ついこの間のことのように思えるのに、私も、今はほとんど備えてなくて・・・
ちゃんとしないとね。
[ 2011/01/21 22:59 ] [ 編集 ]
No title
パールさん
ほんとにたいへんだったのですねぇ・・・。
写真見てまたびっくりいたしました。
でも、ご長男さんほんとに無事でよかったですね。

わたしもこの日の朝のことは鮮明に覚えてます。
下から突き上げるような大きな揺れでびっくりしましたから。
何百キロ?も離れててもこうなんだから
神戸はほんとにたいへんでしたね。

東海大地震がくるくると言われ続けて10年以上?
一応、3日分くらいの水、食料は備えてあるけど(足りるか?)
怖いですよね。
[ 2011/01/22 15:13 ] [ 編集 ]
mayさんへ
もう、2度と経験したくないよね・・・。日本に住んでいる限り地震からは逃れられないけどね。
被害を最小限にするために自分でできることはやっておかないとダメだよね・・・。
[ 2011/01/22 20:34 ] [ 編集 ]
nahomiさんへ
東海地震はずっと昔から起こる、起こるといわれてますよね・・・。あの震災の朝、夫は
絶対に震源地は静岡とか愛知で実家がある愛知県は大変な事になってると真剣に思ったらしいです。
神戸で地震が起こるはずがないっていう先入観・・・怖いですよね~。
うちは水と電池しか置いてないです。カセットボンベも買わなくちゃ・・・。と今は思っていても
ついつい日常生活に追われ忘れてしまってます。反省です!
[ 2011/01/22 21:15 ] [ 編集 ]
No title
ぱーるさんも、実際にあの震災体験を体験されていたのですね。
私も幼い頃両親の実家の愛媛県に遊びに行った時に、
震度5の大地震に合いました。
夜中のことだったので子供心にとても恐ろしい体験で、
従姉妹たちと慌てて家の外に避難した後も、
夜通し続いた余震に周囲の山々が反応して、
「グワ~ン」と唸るような音が響いていたのを、
未だに覚えています。

阪神・淡路大震災の時に、
あの幼い頃の恐怖の記憶が蘇ったはずなのに、
私も今ではまた備えを忘れています。
もう一度改めなくては。

時は経っても心に焼きついた辛い思いでは消えないもの。
震災で犠牲になられた方々のご冥福を改めてお祈りいたします。
[ 2011/01/24 00:20 ] [ 編集 ]
hyoutanさんへ
hyoutanさんも大きな地震を経験されたのですね・・・
本当に忘れられませんよね・・・。揺れを感じると今でも緊張して動きが止まります。
あの、地鳴りのような音も忘れられないです。

備えあれば憂いなし・・・ですよね。そして大きな地震が起こらないことを祈るばかりです。
[ 2011/01/24 17:53 ] [ 編集 ]
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Author:ぱーる
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